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日産コンツェルン総帥・鮎川義介氏の生涯を描く舞台プロジェクト「GISKE」。
10,000社をそだてた不屈の精神を描いたストーリです。彼を知らずして、日本の経営者は名乗れない!!
明治時代、長州士族の長男として生まれた鮎川義介氏は、大叔父が政治家で実業家・井上馨氏であったことから、親族の協力のもと日本を代表する経営者となります。
彼は「決して金持ちにはならない」ことを誓い、東京帝大を卒業したにも関わらず、一職工に紛れて働くことを決意。
しかし、日本の工場がすべて外国の模倣だと気づくや否や、本場の技術を学ぶために渡米します。
初公演2019年11月16日(土)の舞台では、鮎川義介氏が「日産コンツェルン」を創設するに至る激動の半生を上演いたしました。
そして今回、コロナ禍を経て2023年5月に新章開幕いたします!
第二次大戦敗戦後、戦争犯罪人を収容した東京拘置所。
またの名を「巣鴨プリズン」。
その中で快活に笑い、明日をも知れぬ戦犯たちの心を和ませる男がいた。
男の名は、鮎川義介。
日産コンチェルンの総帥であり、満州重工業を牽引した男だ。
「近いうちに、牢内で芝居でも作るか」
彼は驚く戦犯たちを前に、楽しげに物語を語り始めた。
物語の始まりは昭和五年、国産自動車の黎明期。
勢い勇んで車部品に挑んだ大阪の自動車部品工場では
返品が相次ぐわ、下請け会社が怒鳴り込んでくるわ、で窮地に陥っていた。
そこへ居合わせた一人の男。
喧嘩に巻き込まれた男は、同時に情熱の渦にも巻き込まれ、
国産自動車産業の歴史的な一歩を踏み出す背中を押されるのだった。
巣鴨プリズンの戦犯たちは嘘とも本当とも分からぬ鮎川の物語に引き込まれていった。
彼の語る物語は、いつしか満州国から戦後へとつながる壮大な広がりを持っていく。
戦犯たちの胸にいつしか湧き上がるのは復興の炎。
鮎川義介の波乱万丈の人生を下敷きに描く舞台『GISKE』シリーズ第二弾、激動の昭和篇!
明治13年(1880年) | 鮎川弥八の長男として、山口県吉敷郡で誕生 |
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明治32年(1899年) | 姉の節子が貝塚家に嫁ぎ、一家も九州へ移住 |
明治33年(1900年) | 井上家の玄関番をしながら東京帝国大学で学ぶ |
明治36年(1903年) | 芝浦製作所(後の東芝)に就職。時習舎では子弟の面倒をみる |
明治37年(1901年) | 北海道視察 |
明治38年(1902年) | 渡米して可鍛鋳鉄の技術を学ぶ |
明治43年(1910年) | 親族の出資を受け、戸畑鋳鉄を起業。 |
大正3年(1914年) | 美代と結婚、九州若松へ。第一次世界大戦勃発 |
大正4年(1915年) | 大叔父 井上 薫 死去 |
大正7年(1918年) | 米騒動 ゲーリーシティー視察(持株会社の構想) |
大正12年(1923年) | 関東大震災 |
昭和2年(1927年) | 久原鉱業の倒産危機 |
昭和3年(1928年) | 日本産業株式会社を起業 |
昭和12年(1937年) | 満州重工業開発の総裁に |
昭和27年(1952年) | 中小企業助成に取り組む |
昭和42年(1967年) | 死去 |